ギラヴァンツ北九州 1-6 ジェフ千葉
「ギラヴァンツ北九州」という縁もゆかりもないチームに内藤洋平が移籍し、彼が大好きだった(どれくらい大好きかは下の記事を参照のこと)私は、毎試合ギラヴァンツのスタメンをチェックしw、岡山へ行きww、そして、北九州というチームのこともたくさん調べました。神戸との試合が平日であることに憤慨し、西京極の北九州戦が月曜日であることに日程くんを呪いながら毎日を過ごしています。←
1-6かぁ。
映像を見ないことにはなんとも。だけど、6失点てことは全てに関与してない、てことはないよね。守備陣だけの責任じゃないはず。ちゃんと前向けたんかな。諦めずにボール追えたかな?心折れたかもしれないけど、次の試合に向かって切り替えできてるんかな。
心配ごとばかりです。わからないことばかりだから。
遠距離はつらいw
京都もがんばるよ。
だから、ぎらも頑張れ。
負けるな、洋平ちゃん。
ありがとう、内藤洋平
リリースを見た時、少しの驚きと、次は何処なんだろう?という「次へ向けての想い」が出たことに自分で驚きました。移籍や、戦力外や、そういった言葉に毎年過剰に反応した自分としては、意外なまでの反応でした。
こんなにも惚れた選手に、寂しい、よりも、先にそれが出てくるなんて、と。
良いときと悪い時の差が激しくて。
悪い時は消えるし、全然守備しねーし。笑
でも良い時は、一瞬で全てを変えられて。
彼の一瞬に助けられた試合は、数少ないけど強烈なインパクトがあった。
そういうときの洋平ちゃんは誰よりもかっこよかったんだからね?
行っちゃやだ。っていう想いももちろん、あります。でも今季の立場を思えば、きっと他に輝く場所があるのでしょう。色々な葛藤、辛い思いもしたと思います。1年目の自らの立場と比較してしまったこともあっただろうし、今季はしんどかったと思います。渦巻く思いの中、それでも、栃木戦、彼は救ってくれましたよね。あのときのFK、私は今季終わってからもずっと忘れられなかったんですよ笑 あの時の私は世界で一番幸せでした。見に行って良かったってレベルじゃなくて、本当に、サッカー見てきて一番幸せだったかもしれない。それくらい。
立命館大学からサンガに入団が決まった次の試合、洋平ちゃんはゴールにアシストと大暴れ。その試合を見た私は、この選手がピッチの上で魅せてくれるものは生半端なものじゃないと確信しました。あれから2年。
他の選手じゃ、こうはいかない。でも洋平ちゃんなら言える。
サンガじゃなくても良い。うちじゃなくても本当に良い。うちを選んでくれたのは、本当に縁で、嬉しかったけど、敵になってもいいんです、私にとっては。対戦相手であっても全然、構わない。内藤洋平が内藤洋平であるならチームなんて関係ない。サッカーをしてくれるなら、全然寂しくなんてない。
だから、また元気にサッカーをして、輝いて!
ありがとう、内藤洋平。
そして、今
自分が雪弥と歩いてきたオーボエ人生は、なんだかんだで気付いたらたいへんな時間が経過しているんだな、とそう思い返しています。9年。自分の人生の半分くらいになるんだなと思うと、感慨深いというよりは長すぎる時間の経過に驚いています。中学でオーケストラやるって決めて、弦楽器よりは管楽器が良くて、と思って金管楽器吹かしてもらったら全く音が出ず、木管しかない\(^o^)/と思って色々相談してオーボエになったのがつい最近のようだ。
たくさんの役をもらい、たくさんの舞台を経験してきました。
昨日、現役最後の演奏会が終了しました。
ミスがないわけじゃなかったけど、吹き切った!って思える。自分の出来だけに囚われずに良い演奏会だったって思える、というのは、6月に迎えた春の演奏会で知った事です。そして、今回も同じことを思うことが出来ました。いや、春以上に、今回は達成感があります。
それは、昨日の迎えるまでの過程に、1つも無駄だったことは無いと胸を張って言えるからだと思います。結果というのはそれまでの過程から生まれるものだと、オーケストラだけではなく色々なものを見てきて知りました。その過程が素晴らしいものであるのならば、きっとその結果は良いものであるはずだ、と。
私は自分を信じることが本当に苦手で、自分の人生の中で、自分を信じたことはほとんどなかった。この演奏会を迎えるまでにも、自分が駄目だと思った事は1回や2回ではありません。でも舞台に上がる前に自分に言い聞かせた言葉は、「私はやれる!」という言葉でした。それは前述の通り、これまでやってきたこと全てが尊かったからに他なりません。だから、良い演奏を届けれられる、全てが終わった後自分も誇らしくいられるという自信があった。3年前、自分の出来がよくなくて、後悔ばかりだったあの時とは違う。
この記事を書くにあたり、自分が書いたこの文章を読み返していました。
あれから、そして、今。
今を迎えるにあたって、たくさんの人に支えられて、たくさんの人に励まされてここまで来ました。多くの人の尽力があってこそ、このオーケストラに入ることが出来て、本番の日を迎えられて、自分を信じて吹き切ることが出来ました。そして、良い演奏を届けることが出来ました。いくら感謝しても足りないくらいです。私に関わって頂いた全ての方にお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
超遠距離恋愛
だいぶ前の下書き記事を見て、焦っている桜庭ですごきげんよう。こんな良い文章、放置しておくのもったいない。笑 いずれ出せたらな、と思いますです。
さて、はじまりましたフィギュアスケートシーズン。もうすぐスケートアメリカと聞いて、ま、まじ?いやいやいや。みたいな感じなのですが、私は。笑
そもそもフィギュアスケートを好きになったのってなんだろう。って考えると、一人の女の子が出てくるわけでございます。
フィギュアスケートに触れた一番初めのきっかけは日本開催の世界選手権でした。見た競技は男子シングル。しかも銀メダルを取った高橋大輔には目もくれず、なにこの007の人すげえ、でも背中に007ってなに?みたいなことを考えていた気がするので、当時からこんなスタンスだったんだと思います、残念ながらw
……だがしかし、あの女の子がいなければ、私は、たぶんここまでのめりこんでいなかったのだろうな、と思います。
2007TEB。演技は決してほめられるものではなく、ましてやプログラムも決して良いものではなくて。しかも当時は浅田嬢VSユナ子全盛期みたいなときでしたから、この二人じゃなくてなんで彼女?って感じなんですが。当時の私は、それでもこの子いいな、このスケートを応援したい、って思いました。ユナ子とか浅田嬢はすごく完成されていて、それはそれで素晴らしいと思ったんだけど、私はちょっと不器用で、でもスケート自体はすごく洗練されてて、そういうアンバランスさがとっても好みだった。
しかしそれからはまったくうまくいかず。結果的に全盛期になってしまった2006カルガリー・世界選手権優勝を私はリアルタイムで知らないですし、2006トリノ五輪で見せた可能性も、2005全米選手権で決めた笑顔のトリプルアクセルも知らない。彼女が一番きらきら輝いてた頃をリアルタイムで見ることはかなわなくて、結果的には苦しいところしか見ることはなかったのかもしれない。むしろ泣いたことのほうが多かったかもしれない。五輪シーズン、怪我で全部棒に振るって聞いたときの瞬間なんて、スポーツ見てきてあんなにつらかったこと、今までなかった。
だけど、それで恨むなんてなくて、もっと早く知っていれば、と思ったこともなかった。本当に、不思議なくらいなかった。
ただ、今このときを選手として生きている彼女が好きだった。
それにむしろ、スケートのすべてを教えてくれたのは彼女だったと思ってます。楽しさだけじゃない。苦しさも、しんどさも、つらさも全部。つらくてもしんどくても私は彼女に関して、応援するのをやめようなんて思ったことは一瞬もなくて、「どれくらい怪我しても、いつか帰ってくると全力で信じる」って姿勢を貫いたと、自信を持って胸を張って言える。今、好き、って思える選手の事とその選手の幸せを最後まで信じられる。それはフィギュアスケートの垣根を越えて、どんなスポーツでも。私がそういうスタンスが貫けるのは、彼女、キミー・マイズナーのおかげなんだと思います。
さて、今。
キミーは度重なる怪我の影響で競技会から姿を消して、学業専念、たまぁにスケートをする。という感じになったと聞いています。だからこそもう日本には来てくれないものだと思っていて、キミーを見るためにいつかアメリカへ。あまり口には出さなかったけど、私はそう本気で思っていました。それくらい会いたくて、それくらい彼女のスケートに焦がれてた。いわば超遠距離恋愛。笑 片想い、だけど。笑
ところがどっこい。
メダル・ウィナーズ・オープンという大会が開催されるらしい。それは現役引退した選手が出る競技会で、そんでもって、彼女が、それに出るために埼玉に来るらしいと聞いて。ただ、メダル・ウィナーズ・オープンは金曜日の夜ということで行くことはかなわず、非常に残念……というか、残念じゃすまされないくらい落ち込んだわけなんですけども、そういえばその翌日にショーがあるじゃないか。ということで。
行ってきたんですよ、埼玉に。
会場に着くまで、リンクの上にキミーがいるなんて俄かには信じがたかった。五輪シーズンのNHK杯にエントリーしたと聞いて私も長野行きを決めたけど、結局怪我で欠場したという経緯があるものですから、それも致し方なかったのかもしれませんが。……ただ、諸事情により会場に着いたのがぎりぎりになり、雰囲気もへったくれもないままにショーが始まったので、いろいろ変なことを思う時間は一秒もなくてそれはまあよかったのかもしれないけどもw
ショーはですね、群舞からはじまるのでまず演技者全員がぶわぁーっとリンクに入ってくる、ので。
いるんですよ、そこに。
目線が、そこにしかいかないってあるんですね。笑 ってくらい、釘づけでした。一瞬で見つけられたのは愛の力か、そんなに目立つ衣装でもなかったのに。笑
ああ、きてくれたんだな、って。
滑るため、そのためだけに日本に来てくれた。
そしてショーがはじまる。
いろんなスケーターが滑って……1部の後半くらい。なんと順番はフィリップ・キャンデロロさんの次。キャンデロロさんがとりあえずやりたい放題やった後www*1私の席、スケーターがリンクにあがったり去ったりするのがよく見える席だったんですね。だからキャンデロロさんがリンクから去って行くのを、キャンデロロさんの次の選手って大変だろうなー、と思って見てたら、そこにはささーっとリンクに向かうキミーの姿が!w いやいやいやいやww会場はキャンデロロさんのせいで超ヒートアップ状態。さすがにワロタ。なんて順番をww
と、感慨もへったくれもない。w
だがしかし演技ははじまるわけです。
いろんなことを考えながら見ていました。
スケート自体は、すごくきれいでした。あのとき、私がこの子いいやん、って思ったときのあの不器用さは消えつつありました。そこには大人の滑りがあって、手をびゅんびゅん振り回して*2ジャンプぽーんと跳ぶあのときのキミーはそこにはいなかった。でも洗練されたスケートはあの頃とほとんど変わっていなかったんですね。
変わったことと変わらなかったこと。それは私を戸惑わせることは決してなくて、すとんと受け入れることができました。あの時から時が経ったのだと、そう思っただけ。ただそう思うと、現役時代にあったたくさんのことが思い出されました。
だからこそ、ここで滑っているキミーがいること、それだけが尊かったです。
たぶん2分か3分くらいしかなくて、でも永遠と思えるような時間で、それでも終わってみたらすごく短かった。このためだけにすごくいろいろ無理をして埼玉まで来たけど、そんな無理なんて吹っ飛ぶ程で、むしろ埼玉なんて近いと思えるくらい、この瞬間が私の中に存在してよかった、と思えました。
演技が終わって。終わっちゃった、なんて考えてたら……お辞儀のところでキャンデロロのパフォーマンスをパクるキミーwwwwわろたwwwおちゃめさんです。ちょっと泣きそうだったのにww
そんなことに笑いつつ、拍手をしながら。拍手にたくさんのありがとうをこめました。とにかく、ありがとう、って伝えたかったんですね。手紙にもThank you、って書いたけど、それだけじゃ足りないくらい伝えたかったです。
たくさんのことがあって、つらいスケート人生だったかもしれない。世界選手権優勝という栄光を知ってるからこそ、そこからの失速はきつかっただろう。10代、多感な時代に経験した様々なことは良い経験と片づけられるほどのことではないと思います。いつも、私たちにもメディアにもスケートが好きだと語ったキミーだったけど、それは本音じゃなかったと思う。スケートが嫌いになったことなんてたくさんあっただろう。
それでもメダル・ウィナーズ・オープンに来てくれて、また滑ろうと思ってくれたことが嬉しかった。その決断にありがとう。こんな遠いところまで来てくれてありがとう。滑ってくれて、ありがとう。まだ、スケートを愛しているキミーがここにいてくれたことがただただ幸せだった。
ここまでたくさんの文章を書いたけど、ありがとう、って、私の想いは、ただ5文字に集約されるんじゃないかな、ってそう思います。
私にとっては、いつまでも貴方が一番。そう思いながら会場を後にしました。
ロンドン五輪がはじまりました
五輪の楽しみ方なんて人それぞれなわけです。
ただ、楽しんでほしいなぁ、と思うわけです。
2年前、バンクーバー五輪。
たくさんの選手の代表落ちで、私は落ち込みに落ち込んでフィギュアスケートから離れていました。4年に1度の素晴らしい大会を、こんなモチベーションで迎えることになるとは私も全く思わず。すごい、落ち込んでました。とにかく、もう見る気もしないとか思ってました。
でも、いざ始まってみると。
まず、ペアの申雪&趙宏博と龐清&佟健組がマジすごすぎて口ぽかーん。特に、後者の方はNHK杯で圧巻の「見果てぬ夢」を見ていた私にとっては、NHK杯よりもさらにパワーアップしたものを五輪で見せつけられているような気がして、胸が熱くなりました。まさかそんなことになるとは思っておらず、おっかなびっくり。私が今でも中国ペアを割と気にしているのは、バンクーバー五輪でのこの出来事が大きい気がします。
でもって、アイスダンス、まともに見るのは初めてだったんですが、とにかく華麗!すごい!トップレベルの選手はジャンプがみんな個性があって。フリーではその個性が爆発する……凄い競技だなぁと感心したものです。
そしてこちらは見慣れたシングル。どきどきしながら迎えたシングルは……男子は四回転論争……とそれ以前に(主にブライアン・ジュベールに)とんでもないことがありーの、女子は女子で色々めんどくさかったりの、……しましたし、私も今でも納得いってないことはあります、ありますよ。採点うんぬん以前に、それ、論理的に、てか人道的にどーなんだよって思ったこともたくさんありました、うん。自国選手と他国選手、「国」が戦っている競技じゃないから尚更、なんでこんなことで悩まなきゃならないんだと思ったりも。
しかししかし。五輪期間中は、みんなが演技してるときは、ただひたすら楽しかった。だって、みんな、外野の心配や、要らない言葉や、それ抜きに楽しんでたし、誇らしく演技してたし、それだけで十分だったんですよね。誰でも例外なく、結果は関係なく、それぞれの五輪に向かって邁進してた。
そして、結果も、ユナ子女王!フィンランド女子大健闘!
……ということで、私はほっこりほっこりだったのでございます。非国民(笑)
結果的に言うと、楽しかったんですね。
さて、ロンドン五輪、はじまろうとしています(サッカーははじまりました)。
スペイン戦での勝利大変喜ばしいことだと思います。スペイン相手に全く引けを取らなかった選手たちは本当に素晴らしいと思う。し、みんなわーきゃー言っててすごい楽しそうだった。負けたら、楽しむ意味とか、意義を作らなきゃいけないから……勝ったうひゃーい、で喜べることって素敵。
これからたぶん、またいろんなことがある気がします。勝っても、負けても、いろんなことを思ったり、いろんなことを言われたり。ていうか、今もある。奇跡がどーたらこーたら、うんぬんかんぬん。勝ったのにね。
もちろん、納得できない意見もあるでしょう。
でも、それはそれ。これはこれ。五輪期間中はみんなみーんな、楽しんでほしいというのが私の願いです。そんなよくわからない議論なんて、選手の姿を見てふっ飛ばしちゃえばいいのです。自分がそうだったから。五輪は選手のみんなの演技を満喫しまくって、今でもバンクーバーオリンピックは最高だったって胸張って言える。
スタンスだってどうでもいい。自分が○○じゃないから、なんて気にする必要はない。今から関塚さんに土下座しようが構わないし、スペイン応援してたって私は怒りませんよ(笑)私がそうだったから。ナショナルな大会だもん、どんなスタンスがあったっていい。もちろん、他の人に迷惑をかけちゃいけないし、極論で誰かを傷つけるなんてあってはならないけど、それがなかったら、楽しむが一番でいいと思う。苦しみながら見るなんて意味ないよ。
いい五輪になるといいですね。
拝啓 長沢駿様 (山形戦)
反射的にうそでしょ、って声が出たのは確かなんだけど、でも、嘘だとは思ってなかったんです。だって、他に選択しないもんね。宮吉なわけないし、中盤を削るというのもしっくりこない。わかってたよ。知ってたよ。でも頭で理解してても感情が全くついていかないというのは、往々にして(特に私には)よくあること。
この出来ごとのせいで、この試合の事何も覚えてないんです。だから、レビューとか、まともに書けないwwせっかくの首位攻防戦なのに!馬鹿っ!まったくもう。
雨が降ってたのもあるし、前半は写真を撮って試合を細かくは追えなかったっていうのもあるけれど、それにしても忘れすぎているのですよ。それくらいのインパクトがあったということで、それくらいのものを植えこまれてしまったということなんです。それくらい好きなんだなぁとか、それくらい期待してるんだなぁとか。
珍しく雨の中集まった1万人の観衆の目の前で10分そこそこで交代させられるという屈辱的な姿を見せてしまったことはもう変わらない。その10分そこそこのプレーも良いものとは言えなかった。自分の求められている役割と、チームとしてしなきゃいけないことがごっちゃになっている感じがいつもします。先発でやってるときは、もっと明確に役割を分かっていて、シンプルにやれていた気がするので。
この件で、きっと見切りをつける人もいるでしょう。私はそんなの勿体ないと思うけど、仕方ないことでもある。裕也とは違って、長沢は移籍組で、なかなか結果が出せないとなると厳しい評価が来るから。長沢が出てくるたびに、どうせなにもできないのだろうという偏見は、何か大きい出来事がない限りはなくなりはしないと思う。そして、それを撥ね退けなければいけないというのは、相当な覚悟と時間を要すると思う。でも大丈夫。貴方はFWという分かりやすいポジションなのだww福ちゃんとはまた違うから!wやれるよ、やれる。それを知ってるからこう言ってるんだし。
だから、私は絶対に見捨てない。見捨てることなんてできるわけない。ここで諦めたら、拭えないから。怒りと寂しさに満ちた背中を忘れることができないから。長沢っていう選手の最後の記憶があの背中なんて絶対嫌だ。
私たちサポーターの声援にこたえてくれる長沢駿。どんな時でも結局は、コールが来るから。声援が来るから。私たちサポーターは選手からいつもたくさんのものを貰ってる。だからこういう苦しいときくらい、貴方に声援を送りたい。それしかできないなんて思わない。それができる。だから、エールを。
忘れないで。
頑張れ、長沢。
私は応援する。